サラ・ブライトマン、シニータといった人気女性シンガーの「母店」となった、UK産ダンスユニット。 確固たるリーダーがいてコンセプト立てたアプローチを見せるアーティストとは違って、打算的なレコード会社に生み出された操り人形的なグループだと言ってしまえばそれまでだが、80sダンスフリークの間では、決して忘れることの出来ないユニークなグループだったといえよう。 <written by ERIRIN兄 2003.4.30.>
歴代3人のリードシンガーの在籍時代を区切りに、ディスコグラフィーを追ってみた。 |
DISCOGRAPHY
ALBUMとSINGLEの売上成績です。(UK/RECORD MILLER CHARTより)
SARAH BRIGHTMAN years(1978-79)
デビュー時の正式名は、“SARAH BRIGHTMAN & HOT GOSSIP”。今ではすっかり実力派ソプラノシンガーとして君臨するサラをメインボーカルにフィーチャー、当時のSFブームの影響からEW&F的なスペーシィ感覚のダンスナンバーをメインに、ディスコ向けアプローチを展開していた。 78年のデビュー早々、“I LOST MY HEART TO A STASHIP TROOPER”が全英チャートでbPをゲット。79年には“SARAH BRIGHTMAN & STARSHIP TROOPER”と一時変名し、“THE ADVENTURES OF THE LOVE CRUSADER”をリリースするが商業的な成功まで至らずに、リーダーのサラがミュージカルシンガーへソロ転向の誘いもあって脱退してしまった。
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ARLENE PHILLIPS years(1980-82)
脱退したサラの後釜に、既存のメンバーから振付担当だったアイリーン・フィリップスをリーダーに抜擢しての再スタートだったが、ほとんど話題にも上らなかった。しかし、グループ唯一のフルアルバム“GEISHA BOYS & TEMPLE GIRLS”をリリース。このアルバムでは、ポリスの“BURN FOR YOU”、トーキング・へッズの”HOUSE IN MOTION”の2曲をディスコ風にアレンジしてナイスカバーしている。 アイリーンはグループ活動の傍ら、サラ同様ミュージカル界に進出、84年には「スター・ライト・エクスプレス」の監督兼振付師として、他にも「サタデー・ナイト・フィーバー」や「アニー」などのヒット作で振付師として手腕をふるっている。また彼女はデュラン・デュランやエルトン・ジョン、クイーンなどの大物アーティストのビデオ・クリップの振付師としてもその豊かな才能を発揮しているというからスゴイ!
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SINITTA years(1983)
リーダーのアイリーンがミュージカルやビデオ・クリップの仕事に東奔西走していたために、完全に空中分解していたグループを、再度レコード会社が再生。とは言っても、オリジナルメンバーは2人だけというから急造バンドとしての即席感は拭えなかった。折からのハイ・エナジー・ブームに乗って、どことなくヴィレッジ・ピープル風のキャッチーなシングル“BREAK ME INTO LITTLE PIECES”(邦題は「ブレイク・ミー」)は特に日本のディスコ中心にへヴィーローテを果たす人気を獲得した。80s後半S/A/Wによって発掘され売り出されたシニータが在籍していたことは、あまりにも有名である。
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